【青の楽園 第七話】

ジムゾンは床にへたりこみ暫く動く事も出来なかった。単なるローマ時代の格言なのだが、今この状況で目にすると恐ろしい予言のようにしか思えない。だがジムゾンが恐怖を感じたのはそれだけではない。祭壇の正面に書かれた文字が、前に机に落書きされていた文字によく似ていたからだ。しかしこれは自分へのメッセージではない。村への宣戦布告であり、滅亡の予言なのだ。
力の入らない足をなんとか立たせ、ジムゾンは礼拝堂の扉を閉めた。これはきっと、自分へのメッセージだ。そうに違いない。無理やりそう思う事にした。
トーマスがあんな惨い事を平気でやるような人間だとは思いたくなかった。自分に対する執着は確かに逸脱し倒錯しているが、殺人をするような人じゃない。第一、ヤコブから守ってくれたのだ。
「黙っていよう…きっと今夜は、何も起こらない…。」
ジムゾンはうわ言のように独り言を呟く。いいや、何かは起こる。自分へのメッセージなのだと仮定しても。自分がどうにかされるだけで済むのなら安いものだ。変に騒いでトーマスまで容疑者にはしたくない。
そう、自分さえ我慢していれば。何も無い日常がまた始まるのだから。
そう考えながらジムゾンの瞳からは涙が溢れていた。嘘だ。嘘だ。嘘だ!心の奥底で叫ぶ声が聞こえる。どうして事実を見ようとしないのか。赤い文字は間違いなく村にあてられたメッセージなのに。

「何やってんだお前。」
振り返った先にはディーターの姿があった。ぐしゃぐしゃの泣き顔を見てディーターは一瞬戸惑ったようだった。何事かを察したディーターはジムゾンの返答を待たずに礼拝堂の扉を開けた。
「…なんだ、これ。」
ディーターは眉根を寄せて文字を追うが、そこに何が書かれてあるかは解らないようだった。ラテン語の格言だ。ディーターは知らないだろう。ジムゾンは少しだけ笑って言い添えた。
「私はどうしたらいいのでしょう…。」
ジムゾンは礼拝堂前の階段に腰を下ろして顔を覆った。
「今日は大人しく寝るしかねえな。」
ジムゾンが驚いて顔を上げると、ディーターは渋い顔をしてジムゾンを見つめていた。
「立証しようと思ったら、お前がされた事もトーマスの過去の事も全部洗いざらい言わなきゃならない。仮に全部ぶちまけたとしても、この文字がトーマスの仕業だと知らしめた所で何ができる?」
証言と状況証拠でトーマスがしたと説明がつくのはこの落書きだけだ。しかし、鳩殺し共々証拠材料に乏しい。何れも“トーマスが合鍵を持っている”事だけが客観的な材料であって、ジムゾンに執着している事などは想像に過ぎない。立証ができない。
仮に無理やり感情に訴えて説明したとしても文字を書いた事も鳩を殺した事も、殺人や橋を落とした事に比べれば瑣末な事だ。トーマスが殺人異常者の仲間だと言う証明にはならない。
「残念ながら、現状では何もできない。」
ディーターは悔しげに吐き捨てた。安心できないと言った時、直接トーマスに言及しなかったのは恐らくこの所為なのだろう。如何に怪しいと思い、確信に近い思いを持っていても所詮は感想。証拠も無ければ事も起こっていない状況では“トーマスが残りの一人だ”と言ったところで逆に怪しまれるのがオチだ。
今までの生活で培われたトーマスへの信頼感はディーターとは比べ物にならない。軍人としても木こりとしても何の落ち度も無いトーマスと、荒んだ生活を送り、一時期は悪事にも手を染めていたディーター。その差は歴然としていた。
「こういう時ばかりは自分の過去が嫌になる。」

「…青の会、って。」
ジムゾンはディーターを見上げた。
「どういう会なんでしょうか?」
「なんだ。やぶからぼうに。」
ディーターは訝しげにジムゾンを見た。
「結社って言ったら青の会が真っ先に思い浮かぶでしょう。だからもし、今回の黒幕が青の会だったなら。そして父がそれを証明する何かを持っていたら、証拠になると思って。」
「ふん…。で、何で俺に聞くんだ。」
懸命に取り繕ったつもりだったが、ディーターは痛い所をついてくる。無表情で問い返してくるディーターの目の色は、一昨日地下室で見た時とそっくりだった。
「何故って。今あなたと話しているからですよ。…聞いてはいけませんでしたか?」
平静を装って更に切り返すとディーターは表情を戻してうろたえた。
「いや。俺だって知らねえからよ。…けど青の会ってのは女は入れねえらしいし、ただの互助会なんだろ。異端とかそういうのとは関係ねえんじゃねえか。」
ジムゾンは膝に肘をついて顔を両手で支えた。考え込むふりをしながら、何処か釈然としない気持ちでいた。何故ディーターは頑なに隠そうとするのか。たしかに青の会は無関係のようだし、神父の自分に教えるのを渋る気持ちも解らんでもない。それでも、あんな冷たい目をされてまで隠し事をされるのはあまりいい気分ではなかった。

教会の赤い文字について、皆は夕食をとりながら議論をはじめた。食卓には何時ものパンと共にオットーが久しぶりに作った揚げパンが並んでいた。
「相当切羽詰ってるな。」
オットーはそう言いながらソーセージにかかっているレンズ豆のソースをさりげなくスプーンで退けた。嫌いだと知ってる癖にと恨めしそうにジムゾンを見る。
「どうしてそう思うんですか?」
問うたアルビンは横合いからヨアヒムにチーズを取られている事にも気付いていない。
「黙ってればいいじゃないか。わざわざ恐怖心を煽ったってしょうがないのに。」
「橋がかけられる目処がたって焦っているのだろう。」
ヴァルターは涼しい顔をしたまま空いた手でヨアヒムの手を叩き、チーズは無事アルビンの皿に戻った。
「みっともないわね。チーズなら倉庫に行けばあるじゃない。」
「パメラだって!さっきクラプフェンの中身はクリームじゃなきゃ嫌だとか言ってジムゾンから強奪してたくせに。」
「いいんですよ、ジャムも好きです。割と。」
そう言いつつもジムゾンの表情は諦めに沈んでいる。
「へえ。じゃあ俺の分のクリーム入りと変えなくてもいいんだな。」
ディーターはニヤリと笑って粉砂糖のかかった揚げパンをジムゾンの目の前でちらつかせた。中身を入れる際に開けられた穴からは、ふんわりとした生クリームが溢れていた。
「そっ。そんなあ…。」
「あーっ!ディーターさっき“俺のはジャム入りだ”って言ったのに!」
「お前が太ったら悪いっていう思いやりだ。思いやり。それにジムゾンは肉つけなきゃ悪いからな。」

「緊張感が無いのう…。」
モーリッツは呆れた様子で呟いた。皆まるで連続殺人事件など無かったかのような和気藹々っぷりだ。
「橋がかかる目処も立ったしな。気が緩むのも仕方無い。」
食事を終えたトーマスはコーヒーを啜りながら苦笑する。
「こういう光景も久しく見ていなかったからな。見ていると少し落ち着く。」
「そりゃそうじゃが…。」
モーリッツは返答しつつ横のペーターにパンを勧める。しかしペーターは力なく首を横に振り、カップ入りの玉ねぎスープだけをちびちびと舐めていた。リーザに襲われたショックがまだ抜けていないようだ。
「だが現実はあまり良くはないな。」
トーマスはカップを置いて紙切れの束を手にとった。それは落書がされた祭壇の上に置かれていた物で、なんとゲルトの家から持ち去られていた論文の原稿だった。
「犯罪に陶酔したような格言なんぞよりも余程明確な皆殺し予告だ。」
「…そうじゃな。」
モーリッツも険しい顔で紙切れの数枚を手にとって眺めた。犯人にとっては殺人を犯してまで隠蔽したくてたまらなかったはずの物。それを白日の下に晒したという事は、全員にそれを知らしめた上で必ず殺すと宣言しているようなものだった。
「おーい。あらかた終わったら再検証するぞい。」

ゲルトの論文は量としてはさほど多くは無かった。内容はこうだ。
ある結社がある(実際にそう記述され、結社名は明記されていない)。それは信じられない事に、ある種のサタニズムに基いている。グノーシス主義のカイン派から派生した理論を持ち、百年前にバイエルンを騒がせたイルミナティとやや似通った部分もある。
彼らには世界の統治という荒唐無稽な野望があり、その実現の為に様々な場所で暗躍している。そして結社の中には“掃除屋”的な組織が存在する。結社の存在が明るみに出ようとした時、後始末。つまりそれを知った人間を抹殺する役目を担っている。
ところで、人間には生まれながらにして良心という物が無い者がいる。彼らは一見普通に社会生活を送っており誰の目からも異常者とは解らない。彼らの特質はいかな道徳教育をもってしても決して是正されない。結社は彼らの特質に着目した。
良心が無く、自分のためなら躊躇無く人を殺し、そしらぬ顔で偽りの涙を流す事も容易い彼らは暗殺者としてまたとない逸材だった。
結社はそういう者達を集めた。結社の教えはまた、良心を無くした彼らにとっても耳に聞こえの良い物だった。彼らの行動の根幹となる完全に近い利己主義を肯定してくれているのだから。
結社はその獣の如き特質から“人狼”という呼び名を生み出した。おとぎ話として語り継がれる人狼とは、彼らの事なのだ。昼間は人のふりをして、夜な夜な人を喰らうという性質は、良心を無くした彼らのそれと酷似する。
しかし邪心さえ起こさないように機会を与えなければ、彼らも普通に我々の仲間として生活ができる。という事を一応追記しておきたい。
どうやらこの辺鄙な土地にある村にもその“人狼”が潜んでいるらしい。今の所それらしい事はまだ何も起こっていないが、気をつけなければいけない。我々にできる事は、せいぜいそれくらいでしかない。
「これがゲルトを殺す動機であり、殺してまで手に入れて隠蔽したかった代物…。」
改めて目を通しながらオットーは溜息をついた。
「そうなるとやっぱりレジーナが怪しいわけだ。」
「どうしてですか?」
アルビンが首を傾げ、パメラもそうだそうだと頷いた。
「アルビン、自分で言っただろ。ゲルトがここでその話をしたって。」
「え、ええ。」
「その時ゲルトの話を聞いてたんだろ。レジーナも。」
今更ながらに気付いたアルビンは目を丸くした。
「と、言うわけで。レジーナを庇ってるみたいだけど、もしレジーナが犯人じゃないとするならジムゾン。お前が一番それに近いんだ。」
名指しされてジムゾンはギクリとした表情を浮かべた。
「脅さなくても解るさ。ジムゾンだって駄々ッ子じゃない。」
ディーターが弁明するとオットーは少し肩を竦めた。オットーの発言は何時まで経っても考えを翻さないジムゾンへの警告めいた物だったのだ。もっとも、本当にそれが全てかどうかは解らないのだが。
「昨日も言ったが、リーザがレジーナの名前を出したのも単に言い逃れ出来ない状態だったからだろ。」
「ただの冗談だよ。…ジムゾンの事になるとホントやかましいなぁ、お前。」
オットーは溜息一つついて椅子に腰掛けた。

「一番重要なのは、これじゃろうな。」
そう言ってモーリッツが一枚の紙切れを全員が見える位置へ置いた。メモか何かのようで文字は原稿の枠にはおさめられず、適当に書き散らされていた。

『イエスに最も愛された弟子 1318 PSA 神になろうとした者が犯した罪の理由』

「これだけが一度破られておる。」
指し示すとおり紙切れは何度か破られてバラバラにされており、ノリで新しい紙に貼り合わされていた。破片が欠けた様子は無い。意味不明な文面だが、これが全てだった。
「暗号みたいね。」
パメラは嬉しそうに頬を紅潮させて食い入るように紙切れに見入った。
「どうもこれはジムゾンに頼る他無さそうだな。」
オットーはお手上げ、という風な仕草をして椅子の背にもたれた。
「何かの意味があるんじゃろう。そしてこういう書き方になったという事は、ゲルトはジムゾンだけは信頼しとったという風にも取れるの。」
「単にゲルトの専門がそっちだったからって見方もあるが。」
「疑い深いですねえ、オットーさん。」
「商売やってんだから疑い深くもなる。アルビンみたいにのほほんとしてる方がおかしい。」
苦笑したアルビンにオットーはさらりと返し、アルビンは取り付く島も無いようだった。

「最も愛された弟子…か。」
トーマスは顎に手を押し当てて難しい顔で紙切れを見つめた。
「ペテロの事かのう。なにせ最初の教皇なのじゃから。」
モーリッツもまた難しい顔をして腕を組んだ。
「諸説はありますが、一般的にはヨハネを指します。」
そう言ってジムゾンは熱いコーヒーで口を湿した。
「説明は長くなるので端折ります。とりあえず、ヨハネです。ゲルトもそのつもりだったでしょう。そうなるとここの文面が
『ヨハネ 1318 PSA 神になろうとした者が犯した罪の理由』
となります。」
「1318か…。“章”と“節”の事かな。」
ヴァルターの呟きにジムゾンは頷いた。
「私もそう思いました。今までの流れ、原稿の内容から更に推測するとこう思えます。“ヨハネの黙示録13章18節”ここには神を汚す獣についてが記されているからです。…ヨアヒムはお昼に、“人狼とは比喩じゃないか”と言いましたよね?」
ヨアヒムは無言で頷いた。
「この獣の名前は解りません。ただ“獣”とされ、名を解き明かすヒントとして数字だけが暗号のように記されている。この土地で獣と言って先ず連想されるのは狼です。恐らく人狼とは、この黙示録にある獣に重ねて考えられる存在なのだと思います。」
「じゃあそれはそうと仮定して、PSAってのは何だ?」
オットーに問われ、ジムゾンはうーんと唸って首を捻った。
「追伸?」
パメラの問いにもジムゾンはピンと来ないようだった。
「追伸じゃあ“A”が多いよね。」
「むう…。」
ヨアヒムに突っ込まれてパメラまでもが考え込んでしまう。ああでもないこうでもないと議論は続き、結局PSAはゲルトが書き損じたのじゃないかという結論に至る他無かった。

「整理すると
『獣の名 追伸 神になろうとした者が犯した罪の理由』
となる。“神になろうとした者”というのは結社の事だとして、…ゲルトもその“理由”を探して謎解きの途中だったという事なのだろうか。」
「ならば何故破るまで至ったのかのう。それほど重要な事が書かれておるわけでもあるまいに。」
トーマスの仮説に一応は頷くものの、モーリッツはまだ釈然としない様子だった。
「ジムゾン。さっき“獣の名のヒントの数字”って言ったわよね?それって何?」
突然パメラが顔を上げてジムゾンを見た。
「たしか“666”だったと思います。」
「それが結社の紋章に使われてるとか、そういう意味は考えられない?」
何気ないパメラの言葉に全員がハッとした。とりわけ驚いていたのはアルビンだった。
「わ、わわわ私見ましたよ!リーザちゃんの部屋で!」

リーザの持っていた小さなポーチに仕舞われていた髪飾りの裏に、その数字は刻まれていた。
「製造番号かなーっとも思えるんですけど…。それにしちゃアルファベットが無いかなって。不思議だったんで覚えてました。」
さすが行商人らしい着眼点だった。何の変哲も無い花が彫られた髪飾りの裏側にははっきりと“666”のアラビア数字が刻まれている。
「ここだけ汚れてるな。」
拡大鏡で調べながらオットーが呟いた。数字が刻まれたあたりは黒く汚れていた。
「インクがこびりついとるから恐らく、仲間との通信に使う印の役割も果たしていたのではないかと思う。」
そう言ってモーリッツは懐中時計を取り出す。短針は12をさそうとしている。
「一日が24時間では少ないわい。」
苦笑しながら溜息をつくとヴァルターが立ち上がった。
「よし、明日からはこれに重点をおいて調べよう。リーザだけじゃない。悪いが、全員の荷物を調べさせて貰う。」

「おそらく見つからんじゃろう。」
そう言いながらモーリッツは客室へ上がって行く者達を見つめる。
「どうしてですか?」
ジムゾンは階段を上がりかけたまま足を止めて振り返った。
「あれは本当にただの悪戯で、犯人なんてもう居ないから。ですとか。」
「それならどれだけいいか。」
モーリッツは溜息混じりに呟き、二人して苦笑した。
「貴重な材料を見せたからと言って犯人が自棄を起こしているとも考えられん。幾らなんでもそんな解りきった証拠は隠してしまうじゃろう。」
「証拠品を処分する間なんて無さそうですから、確実に管理できる場所に置いていそうですね。」
「ふむ…。さて、それが果たして物かどうか…。」
独り言のように言ってモーリッツは顎鬚をしごいた。
「モーリッツさんは休まないのですか?」
「わしゃまだ調べたい事があってな。それに正直な話、寝るのが恐ろしいんじゃ。」
再度苦笑いを浮かべるモーリッツにジムゾンは複雑な表情しか返せなかった。
最初の頃は衝撃が大きすぎて現実を受け入れられず、忘れてしまいたい一心で眠れもした。だが一昨日ごろから目を閉じるのも、寝台に横たわる事さえも恐ろしくなりはじめていた。それだけに、眠れないと話すモーリッツを笑う事は難しかった。
「どうもあの紙切れの文句がひっかかっとる。」
「別の見方がある、と?」
「うむ。時に、お前は明日の朝も早いの?」
「朝食の準備をしますからね。昨日の解散時間くらいには起きます。」
「ほうか。それじゃ一つ頼まれて欲しいんじゃが…。」

そう言ってモーリッツはごそごそと懐を探った。取り出されたのは鍵束だった。
「わしの家に行って資料を取ってきて欲しいんじゃ。本当なら今すぐディーターに取りに行かせたいんじゃが、夜動くのは色々と厄介じゃし、明くる朝皆が揃うまであやつは見張り当番じゃからな。」
ジムゾンはモーリッツから渡されるままに鍵束を受け取り、ポケットに仕舞った。
「“聖書にまつわる比喩表現”っちゅう解り易い題の資料じゃからすぐ解ると思う。緑色のスクラップブックに綴じてある。」
「…ちょっと待ってください。さっき、“ディーターに取りに行かせたい”って仰いましたか?」
一方的に喋るモーリッツを制してジムゾンは問うた。自分で取りに行くというのなら話は解るが、何故ディーターなのだろう。
「あ、ああすまん。わしの家は家なんじゃが、あるのはディーターの家なんじゃ。」
「ああ。」
やっと意味が解り、ジムゾンも一緒に笑った。ディーターの家はモーリッツの家の二階にある。モーリッツの家は村の人口がまだそれなりに多かった頃の名残で二階は賃貸住宅になっている。両親が死に、借金のカタに家を取られたディーターは暫く町で寝泊りしていたのだが、日雇いとはいえ真面目に働くようになってからはモーリッツの家を借りるようになっていた。
「お前に話題を合わせようとしとるのかしらんが、何年か前から本に興味を持ったみたいでなあ。時々貸してやるんじゃよ。…読み終わったら忘れてしもうて中々返さんのが困った所じゃが。」
「でも、勝手に入って怒られないでしょうか?」
「なーに今更お前が気にする事がある。わしだってしょっちゅう入っとるんじゃから。もし何か咎められたらわしから言ってやるわい。」
「ではまた明日。あまり無理しないで休んでくださいね。」
「おう。戸締りはちゃんとして寝るんじゃよ。パメラにも言っておいてくれんか。浮かれ気分が抜けとらんようじゃ。あの子はわしの息子に似てどうもそそっかしいからの。」
「解りました。」
ジムゾンは苦笑して二階へ向かった。気をつけなければと思いつつ、ジムゾンもまた浮ついた気持ちが抜けきれずにいた。


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